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(独)理化学研究所 筑波研究所 バイオリソースセンター

リソースとゲノム 2:メンデルが認められなかったのはなぜ?
(常陽新聞連載「ふしぎを追って」)

生き物は持つゲノムで生物種が決まると、前回紹介しました。
 ゲノムには、その生物種を成り立たせるすべての遺伝子が記載されています。
 遺伝の法則を最初に発見したのはメンデルです。雑種第1代では優性形質(注)のみ子に表れ、その子どうしを交配した雑種第2代では、両親の形質が3対1に分離する、という簡単なものです(図参照)。

 メンデルはこの仕組みを、親から子へ受け継がれる「これ以上分けることができない最小因子」を仮定して簡単に説明したのです。
 誰でも「因子」を2個持っている。親はそのうち1個だけ50%の確率で子に伝える、というのがその仮定です。ちょうど、水がこれ以上分けることができないH2Oという分子からできているように、遺伝も最小単位「遺伝子」で伝わるという「粒子説」を唱えたのです。メンデルは1865年にこの発見を発表しましたが、全く認められませんでした。  「遺伝」という現象は有史以前から誰でも知っていたものの、片方の親にだけ似るとか、また、兄弟で3対1に分離することはほとんどなかったからです。通常は、受け継ぐ度合いが強かったり弱かったりと複雑かつ連続的に、ちょうど、濃い色と薄い色をした液体が微妙に混じり合うように伝わるとする「遺伝の液体説(=混合説)」が主流だったのです。

 しかし、メンデルの法則に従うケースも少しずつ見つかり、ついに1900年、3人の生物学者によってメンデルの法則が再発見されました。ヒトでもABO式血液型がメンデルの法則に従って遺伝することがわかり、「メンデル遺伝」の一般性が認められました。

 一方で、従来から知られていた「液体説」を「非メンデル遺伝」と呼んで区別するようになりました。ヒトの身長などがこの「非メンデル遺伝」の例としてよく挙げられます。
 では、なぜメンデルは遺伝の法則を発見できたのでしょう。メンデル自身は、彼が考え出した遺伝の「最小因子」が何であるか、どこにあるか、何をしているか全く知りませんでした。「バイオリソース」という概念もありませんでしたが、メンデルが法則を発見できた理由は、まさに、エンドウマメを遺伝子の概念からバイオリソースとしてしっかり品質管理運用したからだったのです。

【注】優性/劣性:持っている対立遺伝子が異なるとき、片方の形質のみ現れる場合が多く、現れる方を「優性形質」、隠れる方を「劣性形質」という。現れる方の対立遺伝子が「優れている」ことは全くないので、「優性」「劣性」という標記は不適切、と学会などでも広く認識されているものの、日本の遺伝学で長く使われてきたため、いまでも「優性/劣性」と記載されている。

分析機器と農薬の標準品(写真)

( 新規変異マウス研究開発チーム 権藤洋一)

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